「プロが教えるから速くなる」のは、当たり前かもしれません。
もちろん、足が速い子がもっと速くなることに努力を惜しみません。
私たちが本当に大切にしているのは、運動に自信がない子が
「自分もできるかも!」と顔を上げる瞬間です。
法政大学スポーツ健康学部卒。スポーツコーチング学・トレーニング学・体力学を修める。
同大学陸上競技部にて史上初の競歩選手として箱根駅伝ブロックに在籍。卒業後は指導者として神奈川県内の高校でインターハイ出場選手を多数輩出。現、法政大学陸上競技部競歩コーチ。
茨城県出身。国士舘大学体育学部こどもスポーツ教育学科に在学中で、将来の夢は小学校の先生になること。高校まで打ち込んできた陸上競技を子どもたちに教えることは、教壇に立つ夢へのスタートダッシュ。お子様一人ひとりに寄り添いながら、「できた!」の瞬間を一緒に増やしていく、お兄さん的な存在。
指導した高校生選手の多くが全国インターハイに出場。うち1名は現在大学生で、日本で8番手を争うトップ選手へと成長しました(陸上競技では8位までが「入賞」とされ、全国で8番手はその入賞圏を争う特別な位置です)。コーチを務める法政大学でも日本選手権※やインカレに選手を輩出し、自ら主宰する社会人クラブからも複数名が日本選手権に出場。常に陸上競技の第一線で、指導者として戦い続けています。
町田市内にある法政大学スポーツ健康学部で、スポーツコーチング・トレーニングを専門に学ぶ。運動生理学やバイオメカニクスはもちろん、声かけ・練習計画の立て方、安全対策まで、メジャースポーツを横断して理論と事例を習得。陸上以外の競技特性への理解もあり、サッカーなど他競技に取り組む子にも、その競技に活きる走りを指導できます。
中学で四種競技、高校で長距離、その後競歩へ。陸上競技の多くの種目を自ら経験。競歩の歴史がなかった法政大学陸上競技部で一人から競歩を始め、日本選手権・全日本レベルの舞台へ。卒業後も、全国経験のない選手を叩き上げでインターハイ・インカレ・日本選手権などへ送り出してきました。指導理論・実技は強豪チームやアカデミア関係者からご助言を賜る機会、JAAF(日本陸上競技連盟)の研修等で日々研鑽。
※「日本選手権」は日本一を決める国内最高峰の大会です。参加標準記録などの厳しい出場条件を満たした一握りの選手だけが出場でき、世界選手権・オリンピックなど世界大会の日本代表選考も兼ねています。
なぜ、お子さまに大会へ出ていただきたいのか。
なぜ、小学生から先まで一貫して見られるクラブを作ろうと思ったのか。
私自身の話から、正直に書かせてください。
私自身の陸上競技のキャリアは中学入学と共に始まりました。きっかけは仲の良い友人の多くが陸上競技部に入部するからというもので、それまでスポーツらしいスポーツは何も経験していませんでした。入部したもののたまたまレベルが高い中学校で練習も厳しかったため、1番走る時間が短そうな砲丸投げを専門種目に選びました。結果、最も練習時間が長い種目でした。
後ろ向きな選択から始まったものの、やはり走り負けるのは気分が良くなく、当時はそれなりにがむしゃらに練習に明け暮れました。結果、砲丸投げよりもなぜか冬季にひょろっと走った長距離の方が結果に繋がり、駅伝メンバーに選ばれるまでになりました。
高校では陸上を続けるつもりがなかったのですが、進学先にたまたま中学の1つ上の先輩がいらっしゃり、陸上部に入部しました。もしかしたら本気でやればもしかするかもしれない、という想いで、高校では長距離を選びました。ただ、当時の私は陸上の練習のいろはをよく分かっておらず、がむしゃらに走り続けた結果、相次ぐ怪我で中学のタイムすら超えられずにいました。
走れず陸上を辞めようと思った矢先、高2の神奈川県大会でたまたま競歩のレースを観ました。これなら全国大会に行けるかもしれないと思い種目を変更しました。オフの日も他校の選手に声をかけて一緒に練習したり、自分で参加できる合宿を見つけ、単身長野で全国レベルの選手に揉まれるなど出来ることをやり切りました。結果県大会入賞止まりの選手でしたが、日本全国に競歩の仲間ができたこと、その仲間がインターハイや国体で活躍していたこと、そんな仲間と努力していた日々そのものが、自分の自信に繋がりました。
大学は箱根駅伝で憧れていた法政大学を選びました。陸上競技部に競歩の歴史がなく、当初は受け入れ審議もありましたが、私の強い希望で箱根駅伝ブロックでの生活を認めていただきました。中学・高校と名を馳せた選手達と朝5時から集合してトレーニングする環境が厳しくも心地良く、刺激の多い4年間でした。
法政大学は私が1年目だった2014年は箱根駅伝予選会を突破できませんでしたが、翌年は見事箱根駅伝復権、3年時は8位でシード権獲得、4年次は6位と、苦しいところから輝かしいところまで経験させていただきました。私自身、チームに競歩の指導者はいませんでしたが、チームメンバーの取り組みやスポーツ健康学部で学んだ知見を自分のトレーニングに活かし、日本選手権へ出場する選手になることができました。
大学卒業後は一般企業へ就職しましたが、自分のクラブを立ち上げ、クラブメンバーや他大学の選手へトレーニングのアドバイスをして陸上を続けました。このときに「SNE Athletes」という、SNEの祖となるチームが産まれました。SNEはSimple Natural Enjoyの頭文字で、とにかく陸上競技を楽しむことをコンセプトに名付けました。
この時、私の課題感として、陸上競技は幼少期〜大学・社会人に至るまで、長期目線で一貫した指導体制が不可欠だと考えていました。陸上を生涯スポーツにするにしても競技として極めるにしても、中学・高校・大学の3年・3年・4年で環境も練習コンセプトも変わってしまうと、選手が負担を感じることになります。これが根本の理由として、競技力を伸ばし切れないという選手の事例も多く聞きました。
いつかそういった環境を作りたいと思い、トレーニングのアドバイスだけする立場からコーチの立場へと意識を変え、まずは自分がよく知っている競歩を高校生に教え始めました。最初に教えた子は競歩を始めたばかりの高1女子で、もちろん陸上で全国経験はありませんでしたが、彼女の素直な姿勢と努力の甲斐もあり、2年次からインターハイへ出場できました。
その後、2021年に法政大学へ入学したという競歩選手から連絡があり、コーチになって欲しいと依頼をもらい、法政大学で競歩コーチをする立場を拝命しました。彼も高校では県大会止まりの選手でしたが、二人三脚が功を奏し私の自己ベストを超え、大学3年次に日本選手権、4年次は関東インカレという非常にレベルが高いトラックレースへ出場できる選手になりました。
彼と練習をしている時、神奈川県陸上界で知らない方はいないとされる女子駅伝強豪校の先生から声をかけていただき、競歩を始めたいという子を指導することになりました。彼女は走りで限界を感じていて、何とか競歩でインターハイへ行きたいと言うも、当時高2の12月で、第一関門の県大会まで半年足らず。しかし、物凄い努力家でした。私の課したトレーニング計画、その意図、身体のケアなど教えを全て飲み込み、5月の神奈川県大会を優勝、6月の南関東大会4位でインターハイへ滑り込み、8月本番も予選をタイムで拾われ、ギリギリで決勝進出する奇跡を起こしました。
彼女は高校卒業後、競歩の強豪大学へお世話になることとなり、関東から離れてしまいました。この時、陸上クラブを立ち上げた当初の課題感・長期目線の一貫した指導体制を自分こそが作るべきだと再認識し準備を始め、ついに2025年12月にその礎となる小学生クラブを立ち上げました。
今後は中学の部を創設し、最大9年の指導体制を構築し、その後も本気で頑張りたいという子へ、その子に合った進路をご提案できるクラブを目指します。その後の進路はぜひ法政大学へご進学いただき、短距離であればインカレ・日本選手権、長距離であれば箱根駅伝を走る選手が出てくれると嬉しいと思っています。
加えて、陸上競技に取り組むことで人生が変わる・物事への取り組み方が変わるという経験を、より多くの子供たちやそのご家族にしていただきたいと考えています。上記の通り私の人生も、ひょんなことから始まった陸上競技で大きく変わりました。中学入学時は下から数えた方が断然早かった勉強の成績が、目標の立て方や努力の仕方を陸上競技で学んだことで、それなりの成績になりました。
大学卒業後は不動産会社へ就職し、世間のイメージより少し緩いものの営業成績に追われる日々でしたが、当時勤めていた横浜の店舗で史上初の新人賞獲得、社長賞獲得など、多くのお客様に満足いただけたからこその結果を残すことができました。これも陸上競技によって自信が付いていた、目標から逆算してやるべきことを整理する力があったからこそだと思っています。ビジネスではその後、プライム上場のフィンテック企業で営業をし、そこでも陸上競技で得た経験がそのまま活きました。
当クラブへは走るのが好きで陸上を頑張りたい子、初めての習い事として身体を動かしにきている子、運動が苦手で克服したい子、他のスポーツで勝ち切るためのトレーニングで来ている子、様々なお子さまがいらっしゃいますが、共通して、なるべく早いタイミングで大会にご出場いただきたいと考えています。
陸上競技の大会はエントリーができれば全員にご出走いただけます。ご出場なさるお子さまはもちろん緊張されますので、練習通りに走れる子、練習以上に走れる子もいらっしゃれば、悔しくも力を発揮できない子もいらっしゃいます。ただ、いずれにしてもゴールをすれば基本的に全員にタイム・記録が残ります。
そこから先が大会にご出場なさる本当の意義・価値だと私は思っています。練習がもっと必要なのか、技術で改善する点があるか、緊張でいつも通り走れなかったのか、食事をもっと摂る必要があるのか、今より早い時間に寝る必要はないか。お子さま自身が現状を知り、目標・ありたい姿を少しでも具体的にイメージし、期限(次の大会)を決めて、そこへ向けて努力をする。
小学生の皆様に、日常全てを走りに捧げることはもちろん私も望みませんが、大会に出ることで、日常の意識が変わるきっかけになるのだと思います。
2025年12月に本クラブを開設し、小学生の皆様を教える立場に立って10か月経ち、入会前と比べ意識が変わったと感じるお子さまのエピソードを直近、多く耳にするようになりました。
自己ベストはもちろん嬉しいですし、私の指導もそこからは決して目を逸らしません。皆様の走りを速くすることが至上命題と考えております。一方、SNE Legacyへ通っていただいているお子さま方に上記のような意識変革が起きていることを、とても誇らしく思いますし、そういった内側から熱意が湧き出てくる感情を、なるべく多くのお子さま方と共有したいと思います。大会はその第一歩となること、間違いありません。
様々なお子さまに走る楽しさを体験していただきつつ、振り返ってみると遠くへ来たものだと、意識が大きく変わったなと、ご本人もご家族も感じていただく。そんな体験をSNE Legacyで提供いたします。
長文になりましたがお読みいただき誠にありがとうございました。走ることは楽しいですので、ぜひお子さまと一緒にレッスンを体験しにお越しくださいませ。
SNE Legacy 代表・ヘッドコーチ 木村 克也
大会出場については 大会出場へ向けたご案内 もご覧ください。
がむしゃらに走るだけでは、いつか限界がきます。SNE Legacyでは、効率的な体の使い方を子ども自身が「考える」ことを大切にしています。
土台となる「体力」をつけ、自ら「考える」ことで、困難を「やり抜く力」に変わる。この3つの歯車が噛み合うことで、運動だけでなく社会でも役立つ一生モノの知恵が育まれます。
「がむしゃらに量を走る」より「考えて鍛える」――この考え方を長距離の練習に落とし込んだ具体例は、小学生が長距離を速く走るためにでもご紹介しています。
AEDの使用方法を含む「普通救命講習」を全スタッフが受講。万が一の事態に迅速に対応できる体制を整えています。
練習場所ごとの避難経路や搬送病院をマニュアル化。危機管理について日々ミーティングをし、安全を徹底しています。
万が一の怪我に備え、全てのお子さまがスポーツ安全保険へ加入いたします。手続きはクラブが代行します。